東京高等裁判所 昭和45年(う)2748号 判決 1971年5月31日
主文
本件各控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人小原正列、同塚幸弥共同名義の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。
所論は要するに、
本件は被告人両名の共謀にかかる単純なる傷害事件であるところ、起訴状記載の公訴事実中に、「被告人両名は住吉一家青田会○○の輩下のものであるが、」と記載され、また被害者○○こと丙について、「錦政会千葉支部○○の輩下である」旨の記載があり、それぞれ暴力的団体に所属し、それぞれ団体構成員としての身分に基づき集団間の葛藤として実力闘争をした如く読みとれるのであつて、右は裁判官に対し被告人の本件公訴にかかる犯罪事実につき不利益な予断を生ぜしめるおそれがあり、かかる起訴は刑事訴訟法第二五六条第六項に違反して無効であるから、同法第三三八条第四号により本件公訴は棄却されるべきである。しかるに原審は、その処置に出ることなく、被告人両名に対し傷害の事実を認定して、有罪の判決を言い渡したのは、右法令の適用を誤つた違法があり、その違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れないとの趣旨の主張である。
よつて記録を調査して検討するに、原判示の罪となるべき事実は、原判決の掲げる関係証拠によりすべてこれを肯認しうるところ、本件起訴状に前記所論の如き記載があり、関係証拠によれば、被告人両名および被害者はそれぞれ右の如き身分を有するものであり、○○は博徒住吉一家に属する暴力団の構成員であつて○○事務所を主宰するもの、錦政会も右と同様の集団であり、○○はその代貸であることが窺われる。すなわち右の如き起訴状の記載は、被告人・被害者ともに組織暴力団に属して、それら団体の構成員として本件傷害事犯を起こした事実を暗示するものというべく、一般論としては、これが裁判官の心証形成にあたり何らか被告人らに不利益な予断を生ぜしめるとの疑を容れる余地のあることは、所論のとおりである。
ところで、本件記録にあらわれた証拠関係を仔細に検討するに、まず被告人両名の司法警察員ならびに検察官に対する各供述調書(甲関係六通、乙関係七通)においては、○○事務所における暴行の事実を否認する部分もあるが、この部分を除けば本件公訴事実について全面的に且つ具体的詳細に自白しており、さらに原審公判廷において被告人両名は何ら事実関係を争わず、検察官申請の書証もすべてこれを証拠とすることに同意していることが明らかである。次に被害者丙は、司法警察員ならびに検察官に対する各供述調書(計四通)において、同人が原判示の日時、原判示のキヤバレー「リズ」前路上および○○事務所内において被告人両名から原判示の如き暴行と傷害を受けた事実を具体的詳細に供述しているところである。その他、右各現場における当時の状況、傷害被害の状況等につきそれぞれ原判示に照応する証拠があるほか、証拠物として、本件犯行に使用された木刀も証拠調がなされており、且つ、以上の各自白および補強証拠の証拠能力、証明力に疑問をさしはさむ余地は記録上全く認められない。
そもそも刑事訴訟法第二五六条六項によつて、起訴状への添付引用のほかいわゆる余事記載も禁ぜられる趣旨は、起訴状における訴因の特定明示に必要でない事項の記載に基き裁判官が公訴犯罪事実の存在を推測し、
あるいは提出される証拠資料に対する価値判断に影響を受け、ひいて心証形成を誤ることを防止するにあると解すべきである。
これを本件についてみるに、本件公訴犯罪事実に関し適法な証拠調手続を経た立証資料は、前記の如くその量、質ともにきわめてすぐれ、原審裁判官は、それのみによつて十分に明確な心証を形成しえた筈であるから、結果的には、起訴状中の所論の如き記載が当該裁判官の証拠の価値判断ないし心証形成に何らかの影響を及ぼしたものとは考えられない。
されば本件起訴状中に所論の如き記載があるのは、刑事訴訟法の規定の趣旨にかんがみ不適当ではあるけれども、現段階において、これを違法と断定することは相当でない。すなわち、本件公訴提起の手続が刑事訴訟法規に違反したものとは認められず、本件公訴を棄却することなく実体審理をしたうえ被告人を有罪とした原裁判所には、不法に公訴を受理しその他法令の適用を誤つた違法はなく、論旨は理由がない。
よつて刑事訴訟法第三九六条を適用して本件各控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。
(吉川由己夫 岡村治信 稲田輝明)